TOEICは「評価されないべき」

先日行われたTOEICの結果が出ていた。listeningが465点、readingが475点だった。大学3年になったとき、団体でタダ受験したIPテストは830点だったので、この9ヶ月くらいでスコアが上昇したと言えばそうなのだが、どうも納得がいかない。

 

というのも、私は大学2年次と3年次、それぞれカナダとドイツに一ヶ月ずつ短期留学に行ったのだが、そこではアウトプットのスキルに関しては言うまでもなく、先生の話を聞いたり、他の生徒の主張を理解するなど、インプット(とくにリスニング)に関しても、「周りのレベルについていけない、情けない」と思うことのほうが断然多かったため、その実感とスコアとが乖離しているように思えてならないからだ。

 

世間一般では、「TOEIC900点を3週間で達成する方法!」など、TOEIC関連本の市場規模は衰えを知らないことから、TOEIC高得点(やはり900点以上?)は一種の社会的なステータスになっていて、その保持者は多くの企業で崇められている。しかし、そのスコアが保持者の実力を、これほどまでに反映していないテストは、TOEICの他には私は知らない。

 

私自身、940点という高得点を取得したことは、とても疑問に思う。なぜ自分がこんなに高い得点を出すことができたのか、という意味ではない。なぜ私のような人間があっさり取れてしまうような点数が、「高得点」という区分けに入るのか、という意味である。ここに、TOEICを世界に通用する「英語力」とみなすことに対する、疑問が残る。

 

TOEICは英語力の実態を表していないというのは、私の実感であるが、これは真実からはそうかけ離れた推論ではないと思う。なぜなら、私のいた語学学校のネイティブの先生や他国の生徒は、TOEICを受験することにあまり価値はないとみなしていたからだ。世界の英語市場でみれば、日本と韓国しか重視していないマイナー資格である。その事実だけで、TOEICが「世界で通用する英語力の証明」でないことはわかる。反対に、世界で通用する英語力を証明したければ、IELTSやケンブリッジ、留学の要件になっているTOEFL-IBTなど、より目的に適ったテストが存在する。国際的にみればそういう事情がある中で、あえてTOEICを受験する必要などないのではないか。

 

結局のところTOEICテストというのは、日本の「村社会」的な性格をよく表している。日本の「グローバル化」が、世界の潮流から外れたところに重きを置いていることを感じている人も少なからずいるだろう。しかしながら、例えば就活の資格欄や、昇格の要件として、実際問題、TOEICの点数が評価の一部として用いられる事情は存在しているし、これからもあまりその傾向に大きな変化はないかもしれない。したがって、「TOEICが重宝される意味はない」と言い切り、テストをまったく受験しない人物は、良い企業に入れない、良い職に就けないなどの可能性がある点で、TOEICを重視する社会の仕組み自体に問題があるのではないか。

 

現在の「TOEIC高得点めざせ」に多く見られるように、小手先だけのスコアアップに留まるのではなく、もっとプラクティカルな英語を身につけさせるためには、まず企業の方から率先して「ウチの会社はTOEICでは評価しません。その代わり、上記のようなテストの成績は、それなりに尊重しますよ」と宣言すべきなのではないか。そしてそれに追従し、多くの大企業がTOEIC重視の傾向から脱すれば、中小企業にもこのムーブメントは広がっていく。まず先陣きって改革を行う勇気ある企業が、今の時代に求められていると思う。

 

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(追記)

 

かといって、前述のとおり、いまだTOEICというのは就活での花形資格であり、企業内での尊敬の対象である。だから、どうやったら高得点を取れるのかという話も、ちょっとばかりしておきたい。

 

まず、自力で800点ぐらいは取れる人でないと、900点を超えるのは難しい。「自力」でというのは、「地力」とした方が良いかもしれないが、この言葉の意味するところは、「いわゆる「TOEIC対策」というものを全くしないで」ということである。よくあるように、問題の傾向分析して、リスニングで数字が出てきたら要チェック、あるいは選択肢の偏りを意識せよ、などなど、そういう小手先のテクニックを学んでようやく800点ほどの人では、そこからの上昇はあまり期待できない。もしそういう方法で高得点を取れたとしても、その能力は実生活で生かされることはないだろう。TOEICは何度も受験でき、スコアは2年間有効なので、何回か受験する中でたまたま高得点が出ることはあるが、それこそ下手な鉄砲が数打って当たっただけの話である。

 

高得点を取るためにもっとも重要だと私が考えることは、「落ち着いて集中する」ことである。なんだ精神論じゃないか、とがっかりしないでいただきたい。これこそ、解答のテクニックよりもいかなる戦略よりも何よりも大事なことなのだと思う。目的達成のために必要なのは、①焦らないこと、②没頭すること、この二点だけなのだ。そしてこの条件(特に①の条件)を満たすためには、まず肩慣らしとして受験し、それなりの点数をとっていることが望ましい。だから上記のように、地力で800点くらいは取れることが前提なのである。

 

焦らずに解答するためには、ある程度の自信が求められるし、さらに集中してやるためには、問題を解くのを楽しむ姿勢というのもけっこう重要なのではないかと思う。リーディングセクションに関しては、解くペースは個人の裁量で決めることができるため、私の場合は「スピード感」を常に念頭に置いて解き、まわりの人たちと競争している感覚で楽しんで取り組んだため、ページ内の問題を終了して用紙をめくる瞬間というのは、なかなか充実感にあふれていた。

 

このように余裕と自信を持っていることが、すなわち集中と没頭につながり、良い結果として反映される。それが、私のTOEIC受験セオリーである。