就活生は、入社試験有料化に物申す

最近、ドワンゴが入社試験有料化を発表したことが、巷で議論を呼んでいる。就活生として思うところ(払いたくないわ!)があったので、ちょっと書いておこうと思ってはてなを立ち上げてしまった。以下のちきりん(敬称略)の記事を参考にしたい。
 
ちきりんの日記 ― 入社試験有料化の次に来る危険なワナ

 

まず、入社試験有料化のメリットとして挙げられているのは、主に下の3つだろう。
 
  1. 学生が真剣に企業選びをするようになる(ちきりんいわく、「自分のアタマで考える」ようになる)
  2. 企業の採用活動の経済的な負担が減るため、採用活動のクオリティが上がる
  3. 1と2より、採用のミスマッチが減って、お互いにとって利益になる

 

2については、もし導入するにしても、その用途を「採用活動」に限るルールが必要だろう。ちきりんのブログでは、「徴収した受験料で、大学名で足切りする代わりに、適正テストを全員分実施できる」という旨のことが書いてあるが、なんのことだがよくわからない。全員を一回受験させただけで、その人の適正が一発で判明するテストがこの世に存在するなら、その導入費用を企業が負担しなくていい(すなわちすべての企業が採用できる)ことはプラスに働くかもしれないが、現実にはそんなテストは存在しない。結局のところ、大学名での足切りと何ら変わることなく、そのテストの一定基準以下の学生を足切りすることになるだろうから、これは解決にならない。3は、1がうまく機能することが前提なので割愛する。

 

問題は1についてであるが、お金がかかるため学生が真剣に企業選びをするようになるというのは、当たり前のように見えて、実はそうでもない。ちきりんの記事では、大学受験料が年々高額になっていっても、大学進学率が増えているという事実から、入社試験に受験料を課しても、すなわち家庭の台所事情によって受験できる企業に格差が生じることはない、と主張している。しかし、この二つのまったく異なる市場を比較するのはずいぶん乱暴だと思う。

 

大学受験において、なぜ受験料が増加しても大学を受験する人が減らないかというと、そもそも受験というのは、それぞれの学校の入試問題を解くのに必要な対策をかなりの長時間強いられる性質がある。早稲田の政経が受けたい受験生と、一橋の商学部が第一志望の受験生では、求められる対策がかなり違ってくる。その点、就活の場合は、一番大きなアピール材料である「人柄」を臨機応変に変えなければならないということはまずない。また国立大学(前期)は一校しか受けることができないため、お金がかかるか否かにかかわらず、当然受験校を絞る必要がある。受験日の日程のスケジュール調整も大切だし、体調の管理もシビアである。お金がかかろうとそうでなかろうと、受験生は必然的に受ける大学を絞らざるをえない。

 

ところが就活の場合は、それが内定獲得につながるか否かは別として、大学受験のように「この業界の大手は一社しか受けることができない」などということは起こらない。もしやりたいことがわかっていたとしても、適正が定かでない場合(おそらくたいていの就活生が、自身の「可能性」を捨てきれない)は、何社も受験したくなるのは当然のことだ。受験料についても、一般的な家庭なら親が負担するだろうし、受験料が高額だから行きたい大学を絞れ、という親はそもそも滅多にいない。なぜなら親は、自分の子供にできるだけ偏差値の高い大学に行ってほしいのであって、自分たちの財布の中身の事情のせいで、子供の将来の可能性を損なうかもしれないということには耐え難いからである。だから、いくら受験料が高額になったところで、それは受験生が大学選びにより真剣にならざるを得ないことを意味しない。

 

つまり、入社試験で受験料を課したところで、ちきりんの言うように、「家庭の経済事情によって就活に不利・有利が生じることはない」だろうが、それは親が受験費用をなんとかして捻出しようとするか、もしくは自分の可能性を一つでも残しておきたい働き者の大学生が、学業をおろそかにしてまで必死にお金を貯める結果である。なので、受験料を導入することによって学生がより必死に企業選びをして、企業も採用の手間が減るだろうという予測は楽観的すぎであり、ただ単に就活生の親が、交通費やリクルートスーツなどの負担の上に、さらに企業にもお金をたくさん支払うだけになる。これは「就活市場が改善した」といえるのだろうか。大学の受験料と入社試験の受験料を比較するのはずいぶん短絡的な議論である。

 

同様に、受験料を徴収することで学生が企業選びに真剣にならざるを得ない、というのもおかしい。そもそも「企業選びに真剣になる」とは、どういうことを指しているのだろうか。「自分が『本当に』働きたい企業」や、「自分の能力や、正確が、企業風土・文化とマッチしていそうな企業」に、エントリーをしぼるということだろうか。もし、そうだとしたら、全く的を射ていない主張だと思う。ちきりんのブログでは、「とりあえず知っている企業にエントリーしまくる人」は、「自分のアタマで考えても、どこの企業を受けるべきかわかりません。でも、誰かが指標を作ってくれて、『お前の実力ならこの大学を受けろ(この企業を受けろ)』と言ってくれたら、どこを受けるべきかわかります」という人だと言って痛烈に批判している。

 

しかしちょっと待て。そもそもこの主張、受験料を導入する是非とまるで関係がなくなってしまっている。先述したように大学受験にしても就活にしても、結局費用を負担するのは親であるケースが圧倒的に多い。子供がその会社に行きたいというなら、夕食のビールを削ってまで、受験を金銭的にサポートするのが親というものだろう。

 

とにかくちきりんは、大学生がとりあえず知っている企業とイメージだけで就活をする大学生がいることに苦言を呈しているだけであって、受験料制度を導入するとその状況が改善される、ということについてなんの根拠も示していないし、論点がずれている。私には、企業が受験料を導入するからといって、学生が自分の将来についてより真剣に考えるようになる、などとは思えない。イメージだけで就活をする学生が存在するのはたしかではあるが、それがお金というフィルターによって淘汰されて、結果として自分に合った就活の方法を選択できるというのは、やはり楽観的な考えだ。

 

たとえ受験料が発生するから受験する企業を絞ろうと思ったとしても、それは「より自分にふさわしい仕事・業界に絞る」というより、「よりネームバリューがあるところに絞る」、「よりイメージがいい企業を優先して受験する」なんてことになるだけだろう。ちきりんのいうように「自分のアタマで考え」た結果として、自分に合った風土を持つ中小企業を発見できる学生が、果たしてどれだけいるのだろう。

 

受験料導入の末路として、「親の金銭的負担が増え、その分は企業の採用活動経費削減に使われる(=すなわち、利益になる)」もしくは「学業よりバイトを優先する学生が増える」か、「ネームバリューのある大企業に応募が集中して、中小企業や就活生にあまり知られていない企業では、ますます優秀な学生を獲得しにくくなる」というオチが待っているかもしれない。

 

このように考えると、エントリーする企業を絞るということは、必ずしも「自分のアタマで考えて、自らの適正にあった企業を選択する」ことではない。それを見落とすと、有料化したから就活、採用活動の質が上がる、という短絡的な結論を導いてしまうのである。今回のドワンゴの受験料徴収は、新卒一括採用という制度の「ガタ」にスポットライトが当たるきっかけとはなったものの、有効な解決策とは思えない。

 

ちきりんは「大学に入る理由も、本来は偏差値が高いからではなく、入学してからやりたいことがあるということが前提」と言っているが、高校から高等教育に至るまでの教育の抜本改革がなされない限りは、お金を取るか取らざるかみたいな議論は無意味に思えて仕方ない。とにかく、就活生の私としては、高額な受験料を徴収する企業が続々と出現するという悪夢が現実にならないことを祈るばかりである。